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総武線市川駅 1960年代 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

総武線に乗って小岩を過ぎ江戸川の鉄橋を渡ると千葉県に入ります。ゆったりとした川の流れと、国府台の緑にほっとする方も多いようですね。私が生まれ育ったのは江戸川を越えた最初の街、市川市。総武線のすぐ北側にある小学校に通っていました。小学校4年生に進級したときは、学校の南側2階の教室。ろくに授業も聞かずに行き交う電車を横目で見ていたんだろうな、私のことだから。
 やがて親にねだって買ってもらったカメラ片手に、線路際をうろうろし始めた鉄ガキ。総武線は1972年に快速線開通と共に高架化、市川の駅も追い抜き設備を備えた立派なものに生まれ変わるわけですが、今回ご覧いただくのはもう少し前の時代。総武線がまだ複線で地平を走っていた時代の市川駅近辺で撮った写真です。撮影した日付もばらばらですが、おおむね1963年~66年頃、ネガの管理が酷く傷だらけの上、スキャン技術も未熟なためお見苦しい写真かと思いますが、なにとぞご容赦のほど…。
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(1)江戸川の鉄橋を下り電車が地平の市川駅に進入します。鉄橋から駅に向かっては下り勾配。上り線をD51が牽引する貨物列車が勾配を登ってきます。
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(2)ほぼ同じ地点を線路際から。キハ26系で統一された「成田」号です。この列車は、初詣の時期に運転されていた臨時列車です。ヘッドマークに「準急」と書いてあるようにみえるのですが、この時期、まだ「急行」に統一されてはいなかったんでしたっけ?
03_D511059.jpg

(3)もう少し駅に近づいたところでD511059牽引の上り貨物列車。新小岩機関区のD51はこの時期船底テンダのカマが多かったですね。
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(4)駅に近づいてきました。駅の手前左側に変電所がある関係で、大きな門型の鉄柱が建っているのが市川駅のランドマーク。その陰からEF58(63番?)が牽引する並ロを連ねた列車が姿を見せます。これもやはり初詣の時期に運転されていた成田臨。成田まで電化されたのは68年のことですから、このゴハチががひっぱるのは稲毛以西限定です。踏切の向こうから煙が上がっています。行ってみましょうか?
C58286の上り貨物市川.jpg

(5)C58にが牽引する貨物列車が待機中です。ここらの貨物列車は、新小岩のD51が新小岩-佐倉、新小岩-蘇我直通の重量貨物を担当、新小岩と佐倉区のC58が駅扱いの貨物を担当します。国電区間の小岩、市川、下総中山、船橋、津田沼、幕張、稲毛の各駅には中線や貨物扱いの設備があって、各駅で貨車の解結をしながらのんびりと走っていました。中線は優等列車の退避や、国電の折り返しにも使われ上記各駅行きの電車が設定されていたんですね。そういえばSLやDCばかりで、この区間の主役・国電のことを忘れるところでした。
07_101系.jpg

(6)いきなり大雪が降ってます(笑)。雪まみれになりながら市川駅に進入する101系下り電車。山手線に103系が投入された玉突きで、カナリアイエローの101系が総武線に配属にされたのは1963年のことです。
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(7)同じ日ですね。C57105が牽く下りローカル貨物列車。右側の線路は駅西側の留置線です。
10クハ79435.jpg

(8)この留置線で夕方ラッシュまで昼寝をきめこむ国電。先頭のクハ79は埋め込み前照灯の400番代。市川駅には本八幡よりにもう一本留置線があって、こちらには62年頃までだったと思うんですが、朝ラッシュを過ぎると、国電の付属編成を分割して何本か留置、夕方になると上り電車に留置線から出てきた2両を併結、8連に戻すという運用を行っていました。駅南側の原っぱで野球をやっていたガキどもは、この併合作業が始まると、野球を中断して飽きずに眺めていたものです。
05D511051.jpg

(8)D511051が牽引する下り貨物列車です。ご承知のように千葉のカマは一年中クルクルパーをつけっぱなしでした。
06キハ28+23+23・下り内房.jpg

(9)千葉ならではの怪しい編成の急行「内房」。2,3両目はどうやらキハ23のようです。
千葉にキハ23の配置はなかったはずですから、おそらく夏期輸送に向けて千鉄局が他局の早期落成した新車を強奪使用しているパターンかと。
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(10)駅の本八幡よりに行ってみましょう。クハ79を先頭とする千葉行き8両編成。総武線の国電は千葉よりにはクモハが入ることが多かった印象があるんですが…。跨線橋の奥にワムが止まっているのが見えますね。
12C5755.jpg

(11)駅北側本八幡よりにある貨物取扱所です。ここでもC5755が入替作業中。停まっているトラックが全部ボンネットタイプというのが、なんだか凄い。
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(12)本八幡方へ走り去る津田沼行きを後追いで。最後部はクモハ73。
13市川駅朝の情景C58.jpg

(13)上りホームから、入替作業に励むC58をスナップ。手前のワムはめでたいゾロ目です。この辺りから南側に北越製紙の専用線が伸びていました。いまはバス通りになっていますが、産業用のディーゼルロコが1~2両のワムをひっぱって行き来していました。
14DD13315.jpg

(15)SL、EL、EC、DCときたので、ついでにDLもお見せします。DD13牽引の区間貨物列車です。さすがに各駅停車で貨車の解結作業を行うのは不合理、ということで、西船橋に大きな貨物駅を新設、国電区間各駅の貨物扱いを集約したあとに設定された新小岩-西船橋の区間便です。そういえばいつの間にか西船橋の貨物駅もなくなっちゃいましたね。
ichikawaeki_haisen.jpg

 ということで、40数年前の市川駅近辺の風景でした。説明が言葉足らずで分かりづらいのではないかと、配線図もどきを記憶と写真をたよりに作成してみました(汚い!)が、正直あいまいなことだらけです。南側の貨物線は3線あったような気がするし、東側留置線の配線もアバウトです。第一、第二踏切というのも地元民(ウチの親)が使っていた通称です。本当の名称は知りません。
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コメント 9

素人写真

懐かしい写真ばかりですね。
EF58の牽く客車の緑の帯がいいです。
by 素人写真 (2011-01-18 19:39) 

nexus6

今風に言えば "キターー" といところでございますね。
今でこそF-15の爆音にホレボレしている小生でありますが、幼い頃は大きな音が大キライ。 ハナタレ小僧の頃は、総武線にSL貨物が通過すると耳を押さえていたのでありました。 懐かしさのあまり、ちょっとウルウルしてしまいそうです。
by nexus6 (2011-01-18 22:39) 

Cedar

真面目な記述と線路配置まできちんと作成くださって。資料的に価値のある記事ですね。私のいい加減な思いで話(調べる術はあるのでしょうが、なんせものぐさですから)とは雲泥の差ですねえ(汗)
総武線の架線鉄柱は高圧線併用だったことを思い出しました。
by Cedar (2011-01-19 02:25) 

maipenrai

niceありがとうございます。

素人写真様
 電化区間が千葉までだったこの時代、ゴハチどころかELが入ってくること自体が珍しかったです。この列車、御茶ノ水の昌平橋あたりで撮りたかった…。

nexus6様
 そういえばSLの汽笛って、近くで聞くととてつもない大音量ですね。軍用はともかく、最近は旅客機のエンジンもすっかり静かになっていますしね。

Cedar様
 過分なお言葉…。もともとCedar様のブログに大いにインスパイアされている私です。線路配置も福島交通の記事
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-09-03-1
 のまねっこだったりします(汗)。資料価値でいうなら、もっと駅舎や街場の風景を撮っておけばよかったのでしょうが、当時のガキ鉄には知恵もおカネ(フィルム代)も回らず…。
by maipenrai (2011-01-19 08:04) 

TG

通りすがりですが、以前より1960年代の市川駅の貨物取扱風景、とくに北越製紙専用線の画像を探しておりまして、偶然こちらのブログを発見して見入ってしまいました。そして、配線図まで!貴重なものをお見せ頂きありがとうございました。

また機会がありましたら、総武線シリーズをよろしくお願いします。
by TG (2011-03-10 00:34) 

maipenrai

TGさん
 中途半端な写真でお恥ずかしい限りです。
 北越製紙専用線は途中に親戚の家がありましたのでよく見ていました。(残念ながら写真は撮っていないのですが)。いまのバス通りと全体の幅は変わっていないと思うのですが、専用線が3分の2ほどを占め、駅から向かって右側にクルマが一台やっと通れる程度の側道がありました。小ぶりな凸型の産業用ディーゼルロコがワムを1~2両引っ張って、人間が歩くよりちょっと早い程度の速度でのんびりと走っていました。
 配線図ですが、南側の貨物側線は3本ありました(他の写真で確認)。訂正して置かなければいけませんね。
 今後とも宜しくお願いいたします。
by maipenrai (2011-03-10 17:19) 

白龍

またまた拝見させていただきます!
市川駅は懐かしいですね。
八幡よりの貨車の入れ替えは良く見ていました。開かずの踏み切りで・・・
今はバス路線になっていますが、北越製紙までの引き込み線もありましたね。現在、その近くに住んでいます。生まれたと時(国府台病院)の昭和30年は開かずの踏切近くの新田に済んでいました。
そういえば当時の市川駅は1~3番線まであり、一日わずかですが、2番線を使って市川止まりと市川発があったかと思います。
また当時のクハ系(省線)は、床も木張りで雨の日などは油臭かったですね。
西船橋駅も貨物ターミナルがあり、いつも新小岩機関区所属のDD13出向いて貨車の入れ替えをしていたような・・・
いくつかの写真は市川橋手前の南側の土手ですね。
小学3年?のころ、父親に連れられて、この近くで列車を見ながらハゼ釣りをしていました。何度か江戸川で泳いだこともあります。
貴重な写真、ありがとうございました。
by 白龍 (2011-08-25 20:53) 

イチロー

懐かしくて本当にうれしくなりました。昭和40年頃、南口側からアーケードを抜け、第2踏切を渡って市川小学校へ通学していたので毎日の様に駅や列車、機関車を眺めていました。特に南口にあった北越製紙専用線は懐かしく、学校の帰りに貨車を引くところに遭遇したときなどは追いかけて行ったほどです。途中、京葉ガスへの分岐があり、転轍機をいたずらして遊んだりしたこともあります。産業道路を跨いで北越製紙構内へ進入する際は工場の人が手動で道路を遮断し、通過させていました。その後廃線となり、レールが撤去された跡を歩いて寂しい気持ちになったことを覚えています。北越製紙専用線の画像がないのは残念ですが、これからもよろしくお願いします。貨物取扱所の風景(ボンネット型は日通のトラックでしょうか)も懐かしかったです。貴重な写真をありがとうございました。
by イチロー (2013-08-10 21:22) 

だ☆ぶ★る

突然に失礼します。偶然にこのページに出会いました鉄ちゃんです。私はおそらく同じ小学校の数年後輩になるのだと思います。懐かしくて涙が出そうになる写真ばかりで、ブックマークを付けさせていただきました。もしこのころの写真がもっとございましたら拝見したいです。
by だ☆ぶ★る (2015-10-27 20:33) 

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