So-net無料ブログ作成
検索選択

初めての日帰り遠征~昭和39年5月~小海線など、その1 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 7時ちょうどのぉ~「第1アルプス 八ヶ岳」でぇ~♪

 すいません、語呂が悪すぎですね。いきなりハイテンションで始まりましたが、それもそのはず、今日は中坊鉄にとって初めての遠出なのです。モノゴコロついてから、山手線圏内くらいまでなら、勝手にちょろちょろ撮影に出かけるようになっておりましたが、長距離列車に乗って出かけるとなると話は違う。
 中学2年になってまもないゴールデンウィーク、5月3日の憲法記念日です。どう拝み倒したのか、はたまた恫喝したか(オイオイ)、なんとか親の許しが出まして(もちろん旅費も…)、晴れて新宿を朝7時に発車する上記列車の人となったのであります。
 手にした切符は東京都区内発、東京都区内行、ただし甲府、小海、小諸、高崎経由。生意気にも遠距離逓減制というやつ、一筆書きで乗ればお徳用という知識だけは持っていまして、日帰りで中央線から小海線、軽井沢、高崎を経由して戻ろうというプランです。
002準急中禅寺.jpg

 キロを除いて2エンジン車を連ねた401D急行「第1アルプス 八ヶ岳」はエキゾーストノートも高らかに、新宿駅を出発していきます。

 隣のホームには7時15分発の165系準急「中禅寺」日光行きが、その隣には銚子行きのDC準急「犬吠・水郷」が発車を待っています。

よろしければ続きをどうぞ。


がんばれ!新人Mくん [ご近所鉄(京成電車など)]

 60を過ぎた出戻り爺鉄としては、「昔はなかった鉄道用語」に結構悩まされます。VVVFなんて昔はなかった新技術は仕方ないとして、編成を意味するFormationの「F」なんかそうですね。いまだに京成はなんで3001号~3008号の編成が「3001F」じゃなくて「3008F」なのか、正直わかりません。
001.JPG

 運転士や車掌のMやCもこの間までわかりませんでした。前者はMotorman、後者はConductorの略ですか。一部のマニア用語なのか、現場で一般的に使われているのかはわかりませんが、最近は私もこっそり使っちゃってます。だってカッコいいんだもん。。

よろしければ続きをどうぞ。


民衆駅~国鉄千葉駅昭和38年 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 今年の1月の終わりごろでしたか、新聞千葉版にJR千葉駅の買い再開発計画に伴い、駅ビル(ペリエ1)を取り壊して建て替え、新たに橋上駅として再整備するとの記事が掲載されていました。
 駅ビルは既に閉鎖されており、おそらく解体工事も始まっているんでしょうね。
00C578.jpg


 取り壊されることになった駅ビルは、昭和38年4月28日に「民衆駅」として現在の場所に開業したもので、その前日まで、国鉄千葉駅は今の場所から800メートルほど離れた、現在の東千葉駅の手前よりにありました。

よろしければ続きをどうぞ。


梨の花 [鉄分少な目]

 市川市と松戸市の境の下総台地は梨の産地です。
 桜の花が散りかける頃、白い梨の花が一斉に開きます。
01.JPG


よろしければ続きをどうぞ。


「かえだま」が走った日 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 昭和39年(1964年)4月24日。秋には東海道新幹線の開業、そして東京オリンピックを控えたこの日、東海道線草薙-静岡間で下り特急「第一富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突するという事故が起きました。この事故で「第一富士」の先頭車クロ151-7は脱線大破、2,3両目に組み込まれたモロ151-12,モロ150-12も脱線し、前途運行不可能な事態が発生しました。
 「第一富士」は東京発、宇野線宇野へ直通する唯一の特急、大鉄局では大阪-宇野間に、急遽高槻区の80系電車の代走「富士」と折り返しの「うずしお」(宇野-大阪間)を走らせた(旧国電の史上唯一の特急運用として有名らしい)ものの、問題は翌日からの東海道線特急の運用。
 東海道新幹線の開業に伴い、151系は関西-九州地区向けに転用することが決定済み。既に準備工事が始まっていて、ただでさえ予備車の少なかった151系はたちどころに車両不足に陥りました。
 そこで、翌4月25日から、ゴールデンウィークの期間中(5月6日まで)、上りの第一こだま、下りの第二こだまを、宮原区の153系11両編成(「なにわ」「せっつ」などの急行列車に用いられていたのと同じ)で代走させることになったのです。
01_2M到着.jpg

 事故翌日の4月25日、多くのファン、あるいは野次馬が待ち構える中、お調子者の私もその中に混じって、東京駅で上り「第一こだま」2Mの到着を待っていました。
 やがて、赤鬼のようなご面相のクハ153-500番代を先頭にした2Mが、大阪からの500キロ余りを走破し、東京駅に進入してきました。

よろしければ続きをどうぞ。


おはよう!ML [ご近所鉄(京成電車など)]

 6時半前には目が醒めてしまいます。
 暖かくなってきて、布団にもそれほど未練を感じなくなっているので、服を着替えると、仕事部屋に行き、PCを立ち上げ、雨戸を開ける…するともう、気持ちの良い青空が広がっている。
「今日も行っちゃいますか?」
 いつもの日課を中断して、カメラを手に、サンダルをつっかけて、さあ、今日はどこで撮ろうかな。
0417ML-01top.JPG

 京成成田を6時4分に発車した新AE形「モーニングライナー62号」は6時47分に京成八幡駅を通過します。冬場は撮影するにはちょっと厳しかったけれど、この季節になれば朝の光の中を駆け抜けていく姿を撮ることが出来ます。
 この10日ばかり、「ML62号」を追っかけてみました…といっても、家から徒歩5,6分圏内の「横着スポット」でのスナップばかりなんですが…。

よろしければ続きをどうぞ。


「三段窓」考 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 少し前のことですが、いつも拝見させていただいているnd502 さんのブログに、名古屋開業したばかりの「リニア・鉄道館」に展示されているモハ63形、いわゆるロクサン形が紹介されておりました。
http://nd502.blog.so-net.ne.jp/2011-04-15

 たまたま同じ日に更新されたCederさんのブログ「Cedarの今昔写真日記」には、富山港線時代のクモハ73/クハ79の写真が掲載されております。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/archive/20110415

 この両記事に激しく刺激され、63/73系が突発的マイブームになってしまった私。とはいえ普通に写真を出すだけじゃ芸がない。そこで本日のお題は「突然ですが三段窓(側窓)」です。
01クモハ73213.jpg


よろしければ続きをどうぞ。


昭和38年東武線竹ノ塚 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 昭和36年3月に南千住-仲御徒町間で開業した営団地下鉄日比谷線は、翌年5月、人形町に延伸されると同時に、南千住-北千住間が開業、東武伊勢崎線と、相互乗り入れを開始しました。
 さらに翌38年2月末には人形町-東銀座の間が延伸開業、ちなみにこの時、都営地下鉄浅草線も人形町-東銀座間を同時開業しています。
 この当時、日比谷線と浅草線は競うように東京の北東方向から南西方向へ少しずつ路線を伸ばしていきました。
01営団3000東武2000.jpg


 北千住駅で並んだ営団3000系と東武2000系。東武の方向幕が「東銀座」となっているので、撮影時期は昭和38年2月28日から、最後に残った東銀座-霞が関間が開業する39年8月末までの間だと推定できるのですが…。


よろしければ続きをどうぞ。


新幹線リレー列車 [番外]

旧友F君から届いたメールに添付されていた画像。

 今日、11時、福島駅。
 日帰り仙台出張の途上、福島止まりの新幹線から乗り継いだのがこの列車のようです。
583系.jpg


 583系、頑張ってるんだ。

 行きは白石停車のみで1時間3分、帰りは「東海道線のお古のような4人がけベンチ椅子の混じった電車で各駅停車1時間14分」という旅だったようです。

 鉄分皆無のF君のメールから、帰りに乗った車両がなんだったのか、想像するのもちょっと楽しい…。

仕事が詰まっていて、まともな記事更新ができません。今宵は借用画像にて失礼します。

現実逃避 [鉄分少な目]

 余震がおさまりませんね。
 被災地の近くでは連日、震度5強、6弱の揺れ、当地では今のところ震度4レベルですが、日になんども揺さぶられるといい気持ちはしません。
地震酔い」という言葉があることを知りました。椅子に座って仕事をしていても、船の中にいるようなローリング感覚がある。じっさい微弱に揺れていることもあるようなのですが、感覚は判然としません。
 なんだかなぁ…、TVをつけても、日本中が「頑張ろう」モードのさなかに、こんな軟弱な言葉を吐けば、顰蹙を買うのはわかりきっているのですが…。

 地震のないところに行きたい!

 でもどこがいいだろう? 

 そうだ、タイに行きタイ(ダジャレです…)。
01BTS02.JPG


よろしければ続きをどうぞ。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。