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八幡秋色~いつもの散歩道 [鉄分少な目]

 早いもので明日からはもう師走。
 60年の人生の中で、格別に忘れがたくなるだろう年も、余すところあとひと月です。

 ただでさえ、歳をとるにつれ、いろんな意味で「追い詰められ感」が出てくるものなのですが、今年のそれはただごとでない。正面から受け止めるには、あまりにも大きすぎ、受け流すにはあまりに手強すぎる。どうしたもんだろうねぇ…。

 さればささやかに現実逃避…といっても穏やかな秋の陽を浴びて、犬を連れご近所を散歩するだけなんですけどね。
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 前回記事に書いたように、カメラを壊してしまい目下重整備入場中…なので、カメラが健在だった26日土曜日のご近所風景です。

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藤崎台駅を探しに…(サワリだけ) [ご近所鉄(京成電車など)]

11月26日土曜日のこと。
 高根木戸駅前17時集合という飲み会がありまして…ええ、新京成の高根木戸です。
 久しぶりに新京成に乗れる…んだけど、ただ直行するのは芸がない。そこで思い出したのが、この写真。

 昭和39~40年頃の新京成電車です。走ってきたのは「鎌ヶ谷大仏」行きの行き先札をぶらさげた300形。京成初期の木造車、33/39形を鋼体化改造した車両で、200形などに類似の顔つきをしていますが、全長は14メートル。この頃には京成から16mの100形や17mの2000形車が転入して主力となっていた新京成にあって、ひときわ小型の2扉車です。
 撮影したのは藤崎台-前原間。えー、藤崎台なんて駅、新京成にはないぞ、と若い方に突っ込まれそうですが、この頃には確かにあったんですよ。
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 その前に…写真の手前に写っている線路。これは新津田沼に行く線路です。電車が走っているのは、京成津田沼から来る線路。この当時は前原から単線並列で走ってきた2本の線路がこの場所で別れ、それぞれ新津田沼と京成津田沼に向かうという線形でした。現在は前原-新津田沼-京成津田沼は(ぐねぐねとカーブを描いてはいるけれど)一つながりの線路になっていますが、1968年(昭和43年)まではこんな形で運行していたわけです。
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 前原方面から来ると、直進する形で京成津田沼に向かう線路の途中にあったのが藤崎台駅。実はこの駅、藤崎台を名乗る前は(二代目の)新津田沼駅(因みにいまは四代目)であった…なんて話を書き出すと、わけがわからなくなるので省略。いずれにせよ、このあたり、新京成開業の1947年から20年ばかりの間に、めまぐるしい線路の変遷があったのです(2度の改軌もありましたね)。

 ともあれ…京成津田沼-新津田沼-前原が一気通貫になったことで打ち捨てられた藤崎台駅、その近辺は、いまどうなっているんだろう? と飲み会前にちょこっと歩いてみようかと思い立ったのでありました。(前置き長いっ!)

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貴婦人の地味~なお仕事 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 誰が言い出したのか、機関車C57のニックネーム「貴婦人」。
 いや、別に異を唱えようってわけじゃないんです。亜幹線の優等列車の先頭に立って颯爽と風を切る、スタイリッシュなC57のイメージには、なかなか合っているニックネームだと思ってます。
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 だけど…個人的な体験でいえば…もっぱら地元・千葉で見かけたC57のことですが…貴婦人と呼ぶにはちょっとばかり地味な印象が拭えません。客車列車を牽いて、両国や上野にやってきたり、海と山が交錯する房総西線を、テールマークをつけた夏臨の客車を牽いたりするのが千葉のC57のハレの姿だとすれば、日常ではこんな地味な運用もあったという…今回は「貨物列車を牽くC57」の画像を集めてみました。

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昭和41年の都内ドライブ~都電を眺めながら~ [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 大昔のネガを眺めていると、その写真を撮ったシチュエーションがどうにも思い出せないことがままあります。35ミリフィルムだと、1スリーブに6カット写っているので、前後の関係もつかみやすいのですが、フィルムの最初や最後に1コマ2コマ、バラけたものがあります。それがまた、迷子になりやすい。この写真もそんなひとつです。
 建物が密集した街並みの中を走って来る都電、系統番号の「4」は読めるし、形式も1000形のようです。どこかのビルから見下ろしているようですが、まったく覚えがありません。4番の都電は五反田駅前から清正公前、古川橋を経て一の橋で右折、赤羽橋、芝園橋を通って、金杉橋で第一京浜に突き当たり、それを左折して新橋から銀座まで走ります。
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 街の佇まいからすると、電停にやたら「橋」がつくあたり、一の橋から金杉橋にかけての風景のような気がします。
 次のカットは同じ電車が交差点の電停で止まっている。交差する道路にも都電の線路が走っているようですが…、このあたり、4番の都電は赤羽橋で3番と、芝園橋で37/2番と、金杉橋で1番とそれぞれ交差(合流)するわけで…。いずれにせよ、このあたりの街を見下ろすビルに知り合いはいないし、潜り込んだ覚えもありません。
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 思いついて写真を拡大してみると…電停の表記は読めそうで読めない…アレ、電車の屋根の四隅に、日の丸の小旗が立っている…ってことは撮影したのは祝日ですね…。
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 この旗でようやくピンときました。実はクルマで走りながら助手席から都電を撮っている一連のネガがあるのですが、そこに写っている都電が、みんな日の丸を掲出していて…。するとこの2枚はそれらの前に撮ったもの。私はこの日、クルマで移動しているから…、なぁんだ、私は平行している首都高速環状線の上から撮影しているんですね。よく見りゃあ最初の写真に首都高の橋脚が写ってるし…。
 いまの首都高速環状線の交通量を考えると、路肩や駐車帯に車を止めて撮影するなど、考えられませんが、昭和39年秋に浜崎橋JCT - 芝公園間が開通した後、残る芝公園 - 霞が関JCTが開通して都心環状線が完成するのが昭和42年夏のこと。芝公園の外回り出口も、盲腸線の終点みたいな感じで、のんびりしていたのかもしれません。
 地図と道路のカーブの具合をにらめっこして、どうやらこの交差点は金杉橋らしいこともわかりました。

 というわけで、前置きが長くなりましたが、昭和41年晩秋の休日、天気はいまいちパッとしませんが、都電を追っかけながらの都内ドライブにご案内しましょう。

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京成千葉線探訪…のはずが [ご近所鉄(京成電車など)]

 一時はしつこいくらい京成ネタを取り上げていた弊ブログですが、9月以来すでに2ヶ月ほど京成電車の話題とはご無沙汰であります。
 確かに、9月に「節電ダイヤ」が平常に戻って以来、「あれっ!?」と思うような事態には遭遇していません。夏には頻繁に見かけた3050形も、ウチの近所じゃサッパリ見かけなくなったし…。
 されど、目新しい話題がないからといって、線路際に立たずにいると、やっぱり出てくる禁断症状。
 出戻り鉄の分際で、自宅からチャリで行ける市川市内だけでわかったふうなことを言っている場合じゃない。ここは己が「京成愛」を一層深化さすべく、新たな撮影地を開拓する時期である! となにやら力み返っておりますが…なに、たまにゃぁ違った場所で撮りたい、ってだけのことなんですが…。
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 ではどこへ行くか? 真っ先に思いついたのは京成千葉・千原線です。ここは以前、京成の4連編成の運用を調べた時に、朝の時間帯は4連が4編成も入ることがわかっている。3500形未更新車4本、3300形8本の4連編成のうちの4本が入る、ということは、大好きな3300形に遭遇するチャンスが大きいということですし、それがリバイバルカラーであれば、さらにいうことなし。
 京成千葉・千原線に行くとなると、いろいろ狙ってみたいものがある。3300形の並びなんて撮りたいよなぁ…そうだ、千原線は単線だから、交換駅で3300が並ぶなんてのもアリじゃない? 新京成のタヌキと3300の並びもいいよなぁ…でも、何時にどこの駅で? そうだ、コレがあれば便利!とダイヤを描いちゃいました(朝の時間帯だけヨ…)。
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 見づらいですが、赤い線が4連運用です。4連はB51、B53、B55、B57の4本が朝5時すぎから6時半前までの間に相次いで津田沼を出庫、終日線内運用に就くB53を除く3本は、ラッシュが終わる頃までに入庫、あるいは本線運用に転出します。9時半すぎに現れる青い線は、新京成からの乗り入れ電車。今回は6連運用の電車も全部書き込みました。
 出来上がった線の交わりを眺めつつ、「6連はどーせ3000形だから、ここは移動に使って、ここんところでこんな写真を…」なぁんて妄想を膨らましていた昨晩…。

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晩秋の木曽路~奈良井、鳥居峠~昭和41年 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 9月のダイヤ「正常化」以來、さっぱり地元京成の話題とご無沙汰です。「明日は京成!」なんて意気込んでいると、朝起きたら冷たい雨が降っていたり…、先日など青砥の駅で電車を待ってたら、通過していったスカイライナーAE車の様子が変わっている。よく見ると車体正面に「ブルーリボン賞受賞」のステッカーを誇らしげに掲げているじゃないですか…。そのとき私は、といえば、カメラを持っていないんですね~。どうもかみ合わせがよろしくありません。
 そんなわけで、またまた相変わらずのモノクロの昔写真を引っ張り出して、ご機嫌を伺う次第なのであります…。
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 昭和41年の晩秋。大月駅。EF131に牽かれた上りの客レ。機関車の次位には春までの間、暖房車(マヌ34?)がつながれています。機関車の右側、山裾に工事中の構造物が見えていますが、中央高速でしょうか?

 下りの165系電車急行アルプス(でしょうね、たぶん)に乗った私と母は、晩秋の中央東線を長野県へ向かっています。しばし沿線のスナップを御覧ください…。

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品川駅前暮色~都電3番線に乗って~昭和42年 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 私が通っていた高校にほど近い牛込見附、昭和42年。
 向かって右手は牛込神楽坂の高台で、左手には外堀を隔てて国鉄中央線が四谷まで並行する外堀通りを、市ヶ谷方向から都電が走って来ました。
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 電車は品川駅前からやってきた3系統「飯田橋」行き。カメラの背後、200メートルほどで、飯田橋の大きな五差路(七差路?)交差点と突き当たる手前が、電車の終点になります。
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 すぐに品川駅行きとなって戻ってきた電車。左手にみえるパチンコ屋は、授業をサボって行くと、必ず物理の教師が玉を弾いていた、という伝説のジ◯イアンツ。写真には写っていませんが、左手手前には私のエスケープの定番、100円名画座の「佳作座」がありました。高校の仲間が読んだら、お前の定番はピンク映画がかかっていた「ギ◯レイホール」じゃね?(写真にちいさくうつってますね)、と突っ込まれそうだな。

 今日は気合を入れて、この3番の都電で品川に向かいます。たかが都電に乗るのに、なんで気合を入れるんだ、とお思いかもしれませんが…何しろ今日は「取材」(笑)だもんで…。

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校庭の機関車、工場の機関車 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 畏友のhigeraman氏からまたまた写真が送られてきた。
 一見して「あっ、またダマテンでタイかビルマだかに遊びに行きやがったな?」と…。
 いや、それほどに南国っぽい写真だったのですよ。
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 放置されっぱなしのような機関車。ナンバーは1285…って、どう見てもC12でしょ? ナンバープレートのCの部分は欠けてるけど…。
 生い茂った木々、メインロッドに塗られた赤…なんだか太平洋戦争中に外地に送られたC12のように見えて…でもC12ってタイとかビルマに送られてたっけ?

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