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モノサク旧線幻視行 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 総武本線は物井を過ぎると左側に迫る丘陵の裾を回りこみ、やがて田園地帯に躍り出る。下り電車の左側の車窓にも広い田んぼが広がりはじめ、加速を続ける電車が右に大きなカーブを描きだす頃、北の方角に向けて低い築堤らしきものがが伸びていくのに気づくかも知れない。だが時速120キロで駆け抜ける特急列車からその姿を捉えることができるのはほんの一瞬で、車窓から徐々に遠ざかり、田園地帯のとらえどころのない風景の中に消えて行くその「築堤」の上を、かつて蒸気機関車や気動車が走っていたことを想像することなど至難なのだろう。(写真:01)
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 昭和43年(1968年)3月の総武・成田線、千葉-成田間の電化に伴い消えていった物井-佐倉間の旧線。モノサクデビューの後編は、その旧線の面影をたどりつつ、45年前のモノサク風景を懐かしんでみたいと思います。今回は文体も少しばかり「はぁどぼぃづどだど([コピーライト]内藤陳)」。

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還暦爺鉄「モノサク」デビュー! [ちょっとおでかけ鉄]

 表題の「モノサク」、撮り鉄のみなさんにはいまさら…でありますが、いちおう解説いたしますと、総武本線・物井-佐倉間、略してモノサク。超有名な鉄道撮影地、ということになっております。なんで有名か…というのは、追々述べるとして、私の地元からもさほど遠くないこの地に、デビューして参りました。
 じつは物井-佐倉の間では、40年以上前、ずいぶんと写真を撮ったことがあります。ただ、その頃は「モノサク」なんて言葉はなかったし、なにより今「モノサク」として名を知られている場所は、私が汽車を追っかけていた線路とは若干ズレている…。
 昭和43年(1968年)3月、総武線千葉-成田線成田の間の電化が完成しました。そのときに、物井と佐倉の間は、ルートが変わり、複線電化の新線に付け替えられたんですね。古い線路は廃止となり、新しい線路はやがて鉄道ファンの間で「名撮影地」として名をはせることになります。私は、というと、新線開通以来この地とはご無沙汰…つまり…開通から44年目にして、初めての「新線区間」の撮影に出かけた、というわけなんです。

 さてさて、ふだんは地元・市川市からめったに外に出たことのない愛車を駆って、東関東自動車道四街道インターを降ります。いきなり訳のわからない道に迷い込んでしまった私(カーナビがないのです…)、気がつけば、総武本線を見下ろす小高い丘の上におりました。

 下り電車に対して俯瞰のアウトカーブ、その先は勾配の直線が続いて、丘に突き当たる手前で右カーブして千葉方向の谷あいに向かっている。光線状態は半逆光ですが…いい場所じゃない…。折しも下りの成田エクスプレスが、軽快に坂を下って行きました。
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 「モノサク」という超有名地に隣接しているとはいえ、あんまりこの場所での写真をみかけたことがない。穴場発見! と思って、帰ってから写真を大きくしてみたら、あらま、手前に無粋な電線が何本も写ってる。現場で気づけよ! って話なんですが…。

 千葉での終焉も間近い(!?)211系。後追いですが、私としては「変態二丁パンタ」側を撮りたいので、これでいいのだ。
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雪の日は二度美味しい~京成八幡 [ご近所鉄(京成電車など)]

 昨晩は夜になって降り始めた雪に、ついついコーフンして深夜の京成八幡界隈を徘徊。まったく還暦超えして久しいのになにやってんだか…でありますが、夜が明ければもうひとつのお楽しみ。
 列島南岸の低気圧が通過した後は、青空が広がる…というのが通例。雪化粧した街並みと、その中を走り抜ける京成電車、3300形が撮れればさらに美味しいなぁ…なぁんてことを考えながら布団にくるまった昨晩。そして今朝。

 雨戸を開ければ、雪は未明にやんだようで、空はすっきりと晴れ渡っている。確かブログを始めた一年前にも、こんな状況下、ご近所の京成電車を記事にしておりますが、その時と今と違うのは「京成4連の運用」を押さえてる、ということ。

 いえ、そんな力みかえることじゃないんですが、マイフェイバリットの京成3300形、いまや4両編成が8本残るだけ…の中で、とりわけ赤電塗色の3324Fは雪景色に映えそうだよなぁ…撮りたいなぁ…と思っていたわけです。共通運用となる3500形未更新車4編成と合わせ、12編成ある4連組の中で、午前中に地元京成八幡を通るのは6編成。その中に「赤電」が含まれているかは、出たとこの運勝負…なのですが、果たして首尾よく「雪景色の赤電」をゲット出来ますやいなや…。

「午前中に地元京成八幡を通るのは6編成」の4連編成を、確実に捉えるためには、午前8時前後に相次いで下っていく「53」「59」運用を押さえなければなりません。この2本はラッシュの逆方向の下りに運用され、そのまま宗吾の車庫に入庫したあとは今日のお役目御免、の運用なので、これに目的の車両が充当されていた場合、一日待っても空振りとなります。
 なので、7時半には家を出て、アイスバーンと化して滑りまくる八幡の路地を線路際へと…。凍りついた線路際の道を、通勤客が急ぎ足で駅へと向かっています。
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待望の雪景色~京成八幡 [ご近所鉄(京成電車など)]

 当地では、先週金曜日からずっと冷たい雨が降り続き、ここまで寒いならいっそ雪になればいいのに…なんて思う気持ちとは裏腹に、今日も一日冷たい雨が降る。
 仕事を終えて風呂に入り、夕飯…の前に、降雪の可能性もあり、との天気予報の御託宣が気になり外を覗いてみると、おっ、雪が降っている。
 かねてから、もし夜になって雪が降る日があったなら是非とも試してみたいことがあった。かなり前だけど、鉄道雑誌のフォトコンで入賞した作品。東急線だったかな? 踏切に隣接した駅を発車する電車、空からは白い雪、それが水銀灯の照明に照らされて、まるで真昼のように鮮やかに捉えられている…すいません、本屋での立ち読みなもので、よくは覚えてないんですが…。
 似たシチュエーションなら我が家の近くにもあります。これは出かけて行かないテはないゾ…。
 「湯冷めするわよ」と呆れ返る家人を無視して、ヒートテックの上下で完全防備を整えて、いざ出陣です。ものの50メートルも歩かぬうち、普段履きのウォーキングシューズには水が沁み込んできて、しまった、長靴にすれば良かった…なんて思うも後戻りはききません。一路京成八幡駅の踏切へ。
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 これが今から一時間半ほど前のこと。以下ろくすっぽ写真のセレクトもしておりませんが、ブログならではの速報ネタということで、撮影した写真を御覧くださいませ。


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複線で、非電化~昭和42年四街道-物井 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 週末は「どっか」に行くぞ! どっかといっても、具体的には全くノープランなんだけど、気合いだけは十分に仕事を前倒しで片付けて、迎えた週末は3日連続の雨模様。東京の西郊は雪が積もったようで、雪景色となればお出かけ気分も高まるというものだけど、当地ではたまにみぞれが混じりはするものの、雪景色には程遠く、ただひたすら冷たい雨が降るばかり。こんな天気では、ご近所の京成電車すら撮りに行く気分になれず、陰々滅々と家篭もり…。
 そんなわけで今回も昔ネタでお茶を濁させて頂きます^_^;

 昭和42年の1月も終わる頃…例によってネガにも日付の記録がないいい加減さなんですが、前回記事の青森シリーズのネガの続きに写っているんで、そう大きくは違わないでしょう。総武線千葉から3(2)つ目の四街道駅です。どんよりと曇った空から、ときおり霧雨のような冷たい雨が落ちてくるお天気。キハ17+18+17とキレイな編成美(?)の千葉行き上りDCが停まってます。車高も車幅も違ういろんな車両を混結するのが当たり前の千葉のDC列車にしては珍しい(!?)。
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 看板の影に隠れた駅名標識。「ものい」はいいのですが、千葉方向が都賀の「つ」ではなく、「ひ」に見える。東千葉!?
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 今は千葉モノレールとの乗換駅として発展している都賀駅は、この頃はまだ「仮乗降場」だったんですね。正式に駅になったのは、昭和43年3月の成田電化開業のときからでした。

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青森駅は雪の中~昭和42年1月 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 豪雪に見舞われた昭和42年1月の青森、いちめん雪に覆われた操車場から機関区と歩きまわった私は、青森の駅に向かいました。
 東北本線と奥羽本線が東西から合流し、北に向かって海に突き当たった所が青森駅。駅の本屋は東側にあって、西口との間に広い構内をまたぐ跨線橋がかかっていました。その跨線橋からみおろすと、青函連絡船が発着する桟橋…第1岸から3岸まであるうちの、東側の1~2岸に接岸した連絡船に、貨車を積み下ろしする風景がよく見えました。
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 入換作業中の機関車は9600形9625。
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 拡大してみると、機関車の後ろに連なる無蓋の控車、煙に隠れてしまったけれど、その先に青函連絡船が停留しているはず。貨車の姿が見えないのは、船への積み込み作業を終えて引き上げてきたところなんでしょうか?

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本州北限のハドソンたち~昭和42年1月 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 昭和42年1月67日、津軽海峡に面した青森駅の南東にあった広大な青森操車場、その中でも一番南側に位置していた青森機関区にやってきています。

 前夜からのドカ雪は、広い操車場を一面の雪原に変えてしまいましたが、早朝からの除雪作業で、東北線や奥羽線の基地としての徐々にふだんの活気が、蘇っています。
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 中でも動力車基地としての機関区は、除雪も早くから進んでいて、大規模な扇形庫と転車台を中心に、機関車が活発に出入りをしていました。

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豪雪の青森~昭和42年~その1 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

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 前回の北上線の記事の続き…なんですが、新年早々中4日も開いてしまいました。イカンなぁ…横着癖は、年が開けてもいっこうに治りません。

 さて、高校1年生の冬休みを利用しての東北旅行、北上線の豪雪を体験した後は、盛岡、滝沢を経て花輪線の龍ヶ森へ。駅併設のオハ31系客車を利用したヒュッテに泊り、翌日は午前中、峠に挑むハチロクを追っかけたあと、そこまで同行していた鉄友・A君と別れて別行動…だったよう…。私は前日ちょこっと撮影した滝沢駅近辺の風景がが気に入って再度立ち寄り。そして14時前に好摩を発車する仙台発のディーゼル急行「むつ」で青森に向かいます。今日は1月6日。9日からは学校が始まるので、8日には東京に戻っていなければなりません。

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奥羽山中死の彷徨~昭和42年北上線 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 昭和42年(1967年)、1月4日早暁。
 前夜、上野発の夜行急行で旅立った私たちは、東北本線北上駅に降り立ちました。東京に較べればだいぶ緯度が高いとはいえ、夜が明けるにはまだ早く、雪が比較的少ないはずのこのあたりなのに、レールを覆うほどの積雪。漆黒の空からは激しい降りではないものの、間断なく雪が降り続けています。
 
 東北本線は昭和40年10月に、仙台-盛岡間が電化され、485系特急「やまびこ」や、455系急行「いわて」「きたかみ」が走り出しました。前年の春休みに訪れたときは、ED75の新製が遅れているのか、貨物を中心にまだかなりの蒸機列車が残っていましたが、それから10カ月、よもや盛岡以南で見られることはないだろうと思っていたC60が、明け方の寒気の中で迎えてくれました。寝不足の脳ミソがパッと目覚めます。
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 私たち…私と同行の鉄友A君は、これから始発の北上線…前年秋までは横黒線と呼ばれていた…に乗り換え、最後の冬を迎えている蒸気機関車D60の奮闘を撮影すべく、岩手、秋田県境に近いダム湖・錦秋湖あたりへ向かいます。
 

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京成電車で初詣 [ご近所鉄(京成電車など)]

 明けて2012年。
 年は変われど昨日の今日、いきなり人格性癖趣味嗜好がガラリと変わるわけでなし、年初第一弾はあいも変わらぬ京成ネタでご機嫌を伺います。題して、
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 京成電車がその成り立ちから、東京東部~千葉方面の著名な寺社への参拝客を、収益の柱として当て込んでいたというのはよく知られた話です。
 1912年、押上から開業した最初のディスティネーションが柴又(帝釈天)、その後も市川真間(真間山弘法寺)、中山(法華経寺)、船橋(大神宮)、そして1926年、本来の目的地・成田(新勝寺)と、延伸の歴史は常に近くに著名な寺社のある場所を区切りとし、インターアーバンならぬインターシュライン、インターテンプルの性格を持っていたのであります(我ながら強引…)。
 まぁまぁ、ともかく京成の沿線には結構な神社、お寺が数多くあり、2012年の最初の日は、京成電車で初詣のハシゴをしてしまおう、というわけです。初詣のハシゴなど邪道…とのお叱りは覚悟の上、なにしろ神頼み、ホトケ頼みしたいことが山ほどある新年なのです。

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