So-net無料ブログ作成

房総の夏輸送~番外~80系準急「白浜」 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 日帰り旅行をブログ一週間分に引き伸ばして…これってネタ的にどーなのよ? といささか反省気味の親父です。
 久々の乗り鉄に酒の勢いも加わり、テンションを上げてしまいましたが、やはりこのクソ暑い季節は、クソ暑い千葉の活気と熱気に溢れた時代の夏期輸送を思い出さずにはいられません。
 というわけで、60年代の千鉄・夏期輸送シリーズ、第三弾は1964年(昭和39年)夏、夕暮れの千葉駅での情景です。

 私が立っているのは、千葉駅のいちばん南側、総武線各駅停車ホームの1/2番線の、さらに外側、0番線という蘇我から新小岩方向に向かう貨物列車の通過する番線のあたり。このときはまだ0番線のレールは敷かれておりません。電車が入れるよう架線が張られていたのも、この当時は1/2番線だけだったと思います。

 夕暮れ、既に日は落ちた1番線にDD13の重連を先頭にした列車が、館山方面から到着したました。カーブしたホームのせいで、はっきりしないけど、DD13重連の次位についているのはチョコレート色の国電。
IMG_0001.jpg




 房総の夏輸送のエピソードとしてあまりにも有名な、「非電化の房総西線に電車がDL牽引で乗り入れた」、昭和39年夏の1シーンです。押し寄せる海水浴客をさばくには、持てる限りのDC、PC(蒸機牽引)を総動員しても足りなかった当時、夏の臨時ダイヤで中野-館山間に設定された準急は、中野-千葉間は電車として自走し、非電化線区だった房総西線は、千葉気動車区所属のDD13に牽引させるという苦肉の策、今から思えば「そこまでヤルか?」という手間暇のかかった臨時列車が運行されていたのです。
IMG_0004.jpg


 冷房なんかもちろん付いていない時代でも、トンネル区間の多い房総西線に電車を走らすには、電源が必要。そこで津田沼電車区に残っていたクハ16にディーゼル発電機を搭載して、DD13の次位につなぎ、電車の電源を確保するという、これまた面倒な運用…、そこまでして、電車を館山まで乗り入れさせなければならないほど、車両不足は逼迫していた、ということでしょうか。
IMG_0002.jpg


 実はDD13+クハ16(電源車)+電車、という運行パターンは、昭和38年、田町電車区所属の153系で運行された「汐風」が最初、翌39年には、新前橋区所属の80系電車を起用、愛称も「白浜」と改めて、都合2シーズン、運転されていました。
IMG_0003.jpg


 当時、千葉気動車区に配置されていたDD13は、370PS機関の87~91と500PS機関の161~165がありましたが、電車準急の牽引に起用されたのは後者。しかし重連総括制御の機構はついておらず、2両のDD13に機関士が乗務して協調運転したんでしょうね。簡易電源車のクハ16にも要員がついていたはずで、さらに電車運転士や車掌、分割作業要員…いったいこの100キロ余りを走らせる電車準急に、どれだけの要員を割いていたのか…。

 千葉駅で切り離されたDD13+クハ16ひと足お先に西千葉方向に退避します。ウィキペディアを見ると、「白浜」の年は「機関車の連解結を稲毛」で行った、という記述がありますが、少なくとも上り列車については、ご覧のように千葉駅で機関車と電源車の切り離しを行っていました。
IMG_0007.jpg


 ようやく全貌をあらわした電車準急。80系でも全金属の300番代ではなく、高崎線などで見られたごく普通の編成です。
IMG_0006.jpg


 暮れなずむ千葉駅を、終着・中野に向かい、自力走行で走りだした80系電車。
IMG_0008.jpg


 撮影場所を間違えて、DL+クハ16+80系という「珍ドコ」な編成を一発で撮影できなかったのには悔いが残りますが…いまさらながらに昔の千葉は面白かったなぁ…と今更ながらに思う親父なのでした。
nice!(19)  コメント(18)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 19

コメント 18

FTドルフィン

JRになってから
国鉄時代では考えられなかった事
いろいろやっていますが
国鉄時代も弾けた時代があったのですね!
by FTドルフィン (2011-07-27 23:55) 

manamana

貴重なショットですね。
電源車ってブルートレインなどでもやっていましたね。
by manamana (2011-07-28 06:25) 

あおたけ

これは面白い記録ですね!
無知な私は最初の数枚を見て、試運転? 廃回?
と思ってしまいましたが、DL+ECの営業運転だったとは!
そして姿を現した湘南フェイスの80系が凛々しいです。
掲げているのは例の「房総型」マークですね〜。
by あおたけ (2011-07-28 09:28) 

J-power

すごく興味深いショットでした。
模型映えしそうな珍編成、参考にさせて頂きます。
by J-power (2011-07-28 09:51) 

京葉帝都

80系が千葉に出現していたのには驚きました。
クロスシートであれば準急に使用できた時代だったのでしょう。
80系は京都から大阪まで快速で乗車しただけでした。
この頃は千葉駅1番線横の貨物列車通過線は無かったのですね。
この線は現在は使用されなくなりましたが。

by 京葉帝都 (2011-07-28 11:34) 

maipenrai

FTドルフィンさん
 高度成長に入った時代とはいえ、国鉄は古い車両と膨大な人員を抱えた赤字企業で、車両の新造や更新も必要量を満たせず、「背に腹は代えられない」と、こんな珍シーンも生まれたのでしょうね。それがまた、ファンにはたまらないところでしたが…。

manamanaさん
 非電化区間への電車の乗り入れというと、長野原線(吾妻線)に蒸気機関車(C58/C11)が80系電車をひっぱるというのもありました。あちらの電源車は戦災復旧型の客車だったかと…。直流の電車(151系)を交流区間の博多まで乗り入れさせたのもこの頃で、こちらは新造の421系電車を一時的に電源車として使い、のちに通常の用途に戻したんでした。

あおたけさん
 「房総型」マーク、80系電車にも似合うでしょう? 新前橋の80系電車には、スノープロウがついていて顔立ちが引き締まっているところへ、ヘッドマークがついて…そう、凛々しいっていうのがぴったりですね。

J-powerさん
 私は模型はからっきしですが、こんな編成を走らせたら楽しいでしょうね。もし製作されることがあったら、是非とも御ブログで発表していただき、拝見させていただきたいと思います。

京葉帝都さん
 成田電化後に70系(山スカ?)が成田に入った写真は見たことがあるのですが、80系はどうだったんでしょう。高崎線で活躍していた80系ですが、この頃にはだいぶ115系に置き換えられていましたし…。38年の夏の乗り入れに使われた153系が、のちに幕張に配属され、房総急行として「自力で」走ったというのも面白いですね。

gardenwalkerさん
CASCO事業部さん
よしくんさん
銀狼さん
 niceありがとうございます。

by maipenrai (2011-07-28 18:42) 

nexus6

混合フル編成の一発勝負もイイかもしれませんが、この一連の組写真もイイですね~
DD13の重連とか、それにクハ16がくっ付いちゃってるところとか、もうたまりません。 それにしても、かぶりつきの立ち位置ぢぁないですか
by nexus6 (2011-07-28 21:55) 

hanamura

手間暇のかかった臨時列車…貴重な記録ですね!
写真の順番…「ようやく全貌」が、ステキです。
by hanamura (2011-07-29 05:45) 

maipenrai

nexus6さん
>一連の組写真
 お察しのとおり、編成写真を撮れなかったための苦肉の策でございます(汗)。状況を考えると、…ホームから飛び降りて撮ってますね…。これだけ係員がいて、誰も注意をしない…そんな時代だったわけですが…。

hanamuraさん
 冷房がない時代ですから、電力を使うのは電車の室内灯くらいだと思うんですが、それでも「電源車」が必要だったんですね。いまでも、例えば只見線で旧客を走らせるとなると、客車の送り込みや返却回送など、たいへんな手間がかかっているんですね(初めてDJ誌を買ってみました)。

schnitzerさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-07-29 10:34) 

Cedar

おお~これこれ!雑誌ではみたものの、本物にはついにお目にかかれませんでした。さすがです~
同級生が千葉の海に家族と行ったときに、中野から電車で行った、という話を聞いて、「電車じゃなくてディーゼルのはず」「いや、電車だった」みたいなやり取りをした記憶があって、彼(非鉄)の記憶違いと信じてましたが、これに乗ったのかも知れませんねえ。悪い事したような気がします。

by Cedar (2011-07-29 13:34) 

む〜さん

国鉄さんもやるものですね。DD13が二両で電車を引く・・・・長閑な時代でありました。お客さんは満載だったんでしょうか?
by む〜さん (2011-07-29 21:09) 

maipenrai

Cedarさん
 同級生のお友達が中野から乗車されたのなら、この「白浜」か前年の「潮風」の可能性が高いですね。私も子供の頃は、まわりの非鉄一般人(笑)がディーゼルカーと電車を一緒くたにするのに「それは電車じゃなくてディーゼルカー!」なんて抵抗していたものですが…家内と一緒になたころかなぁ、徳島本線沿線の実家に帰省するたびに、義父や義母が「徳島から電車で来よったと?」「ええ、電車で来ました」な~んて調子を合わせることを覚えたのは(苦笑)。

む~さん
 始発が新宿でなく、中野だったのもポイントですね。今だったら八王子始発くらいで設定していたかも…。当時の夏場はすいている列車など皆無…だったと記憶しています。やっぱり乗客の絶対数が、いまとは段違いだったのでしょう。
by maipenrai (2011-07-29 22:50) 

利きゅう

初めてコメントさせていただきます。利きゅうと申します。
Cedar様のブログでのコメントがきっかけでmaipenrai様に散財させてしまったようで恐縮です(笑)

この「白浜」の編成、昔グリーンマックスのカタログに編成例としてイラストが載っていたのですが、実物の写真は初めて見ました。貴重なお写真を拝見させていただきました。

非電化区間にDL牽引で電車が乗り入れるのは、20年ほど前に小海線で遭遇したことがあります。
Wikipediaで調べたらDD16が169系を牽引した新宿-清里間運行の臨時快速「葉ッピーきよさと」だったようで、意外と機関車牽引で非電化区間に乗り入れる電車って最近まであるんですね。
by 利きゅう (2011-07-30 00:32) 

maipenrai

利きゅうさん
 コメントありがとうございます。「葉ッピーきよさと」、ありましたね~。清里がブームになってメルヘン調の建物がどんどん建っていた時期でした。
 ある程度の集客を見込める観光地をかかえた非電化ローカル線、というのがこうした列車を走らせる条件かな、と思いますが、いまだとわざわざ電車を乗り入れさせるより、気動車のジョイフルトレインを作ってしまう…というやり方になるのでしょうね。
 「~鉄道原風景海外版」お教えいただき感謝です。アジア好きの私には手放せないバイブルになりました。値段の高い本ですが、実は程度のいい新古本を安く手に入れたので、懐はそれほど傷んでおりません(笑)。

ねじまき鳥さん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2011-07-30 08:55) 

line

凄い編成があったんですね。ちょうど10年後の49年頃から千葉駅に出没してた身にとっては羨ましい光景です。
DD13の次位に付いてる機関車は帯が狭いので、黄色帯の旧塗装ですかね。もしカラーで撮られてたらかなり派手派手な編成が再現出来てたのかな。
しかし、この頃は千葉駅周辺も高い建物が全然無かったんですね。
by line (2011-07-30 17:14) 

maipenrai

lineさん
 DD13、お察し通り茶色と黄色の旧塗装です。夏場とはいえ19時近く、陽は落ちていて…な~んて撮影条件とはまったく関係なく、当時の中学生にはカラーフィルムはまだまだ高嶺の花でした。カラーで撮っていたらなぁ…という思いはありますが、当時のフィルムはISO感度も低く、私のカメラとウデでは使いこなせなかったと諦めてます。
 千葉駅が移転したのが昭和38年4月ですから、まだ1年と少し、駅の界隈もまだ新開地の風情で、今から見るとほんとうに今昔の感…ですね。

vegaさん
フジトモさん
燕っ子さん
 niceありがとうございます。

by maipenrai (2011-07-31 00:48) 

みやちゅう

こんばんは これに登場します。
房総夏臨は30-40年代の国鉄史に残るダイヤでしょう
自分自身この電車? 毎日のように見ていた記憶があります。
画像では西千葉駅通過の画像が、兄によって記録されています。
昭和38年は汐風・39年は白浜号でした。DD13も161-163
39年は189-18と記録されていて、クハ16は527・487の二両
が運用されています。
後年の木更津電化後の快速101系も中野ー木更津ですから
中野発というのは今の東西線に引き継ぐ伝統なんですね。
by みやちゅう (2011-12-09 19:13) 

吉野聡

千葉気動車区はわたしが本格的な撮り鉄になる中1以前から遊びにいってましたので、非常に懐かしく、楽しく拝見しました。80系電車の木更津乗り入れはしりませんでした。昭和38年のとことですので、まだ神奈川県の箱根町から千葉(検見川)に転居する前のはなしです。
稲毛は検見川から徒歩圏内でした。いまは稲毛電車区とともにあたらしい駅できましたね。稲毛で思い出すのが専売公社(そう聞いた)の近くの留置線にいたEF58です。電車は好きでしたが、ELは珍しく新鮮でした。おそらく団臨を千葉まで牽いてきたのでしょう。

maipenraiさんのブログにあげてほしいのが津田沼の鉄道連隊の遺構です。鉄研の仲間と鉄道連隊の資料さがしに新京成の会社を訪れましたが、成果はありませんでした。その頃(昭和48年)には鉄道連隊の遺構自体がとりこわされていました。鉄道連隊は確か存在しました。父が『戦争中は若い兵隊が窯たきの実習でよく乗っていた』とはなしていました。私の両親の実家は木原線の沿線(大多喜駅、国吉駅)です。お盆には親戚が集まるという行事がありました。両国駅発の房総東線の準急で木原線の始発駅である大原に向かいました。途中千葉と大網で列車の運転方向がかわるスイッチバックがありました。母の実家は国吉でしたが、木原線の線路が敷地の中を通るというてっちゃん的には面白い仕様でした。木原線と言えばキハ01~07のガソリンカーです。おばあちゃんの家では一日中木原線の列車をながめてました。ガソリンカーの形式は何があるのかなど興味ぶかかったです。キハ06という形式は無かったですよね。
ガソリンカーの写真を撮ろうと小6のときに大原までいきましたが
そのときは既にガソリンカーの姿は無く、真新しいキハ30がいました。そのときの愕然としたきもちは忘れません。
by 吉野聡 (2019-04-12 07:59) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。