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複線で、非電化~昭和42年四街道-物井 [昔鉄(60年代の国鉄・私鉄)]

 週末は「どっか」に行くぞ! どっかといっても、具体的には全くノープランなんだけど、気合いだけは十分に仕事を前倒しで片付けて、迎えた週末は3日連続の雨模様。東京の西郊は雪が積もったようで、雪景色となればお出かけ気分も高まるというものだけど、当地ではたまにみぞれが混じりはするものの、雪景色には程遠く、ただひたすら冷たい雨が降るばかり。こんな天気では、ご近所の京成電車すら撮りに行く気分になれず、陰々滅々と家篭もり…。
 そんなわけで今回も昔ネタでお茶を濁させて頂きます^_^;

 昭和42年の1月も終わる頃…例によってネガにも日付の記録がないいい加減さなんですが、前回記事の青森シリーズのネガの続きに写っているんで、そう大きくは違わないでしょう。総武線で千葉から3(2)つ目の四街道駅です。どんよりと曇った空から、ときおり霧雨のような冷たい雨が落ちてくるお天気。キハ17+18+17とキレイな編成美(?)の千葉行き上りDCが停まってます。車高も車幅も違ういろんな車両を混結するのが当たり前の千葉のDC列車にしては珍しい(!?)。
01四街道駅.jpg


 看板の影に隠れた駅名標識。「ものい」はいいのですが、千葉方向が都賀の「つ」ではなく、「ひ」に見える。東千葉!?
01-02駅名標.jpg


 今は千葉モノレールとの乗換駅として発展している都賀駅は、この頃はまだ「仮乗降場」だったんですね。正式に駅になったのは、昭和43年3月の成田電化開業のときからでした。


 昭和42年という年は、翌年3月の成田電化完成まで一年余り、電化工事も活況を帯びていた頃ですが、電化と併せ、千葉-佐倉間の複線化工事も平行して進んでいました。複線化は、現在撮影地として名高いモノサクこと物井-佐倉間を除いて完成しており、モノサクは途中の台地をトンネルで貫く新線を建設中でした。

 ということは、千葉-物井間は未電化ながら複線になっており、いわゆる「複線非電化」区間になっていたわけです。
 当時の国鉄は、増え続ける輸送需要を満たすため、あちこちで複線化工事、電化工事を進めていました。とりわけ幹線筋、東日本で言えば東北本線、奥羽本線、羽越本線などはまず線路容量を増やすのが先決とばかり、非電化ながら複線化されていた場所がほうぼうにありました。いずれも早い時期に電化が完成して、非電化複線区間を大型蒸機が行き交っていた時代は短かったのですが…。
 つまり複線化と電化はセットになっており、亜幹線やローカル線が単線電化されることはあっても、幹線筋が複線非電化のまま残されるというのは、石炭輸送が主力の北海道や筑豊を除いてはほとんどなかったんじゃないでしょうか。

 総武線も例外ではありませんが、工期のズレで一時的に出現した「複線非電化」区間を記録に残す…なんて目的意識があったかどうかは覚えていませんが、とにかく電化前の四街道駅に降り立ったわけです。

 物井駅のほうへ歩き始めました。下りの犬吠・水郷が通過していきます。四街道駅はいまでは一部のNEXも停車していますが、当時は当然のように急行は通過。駅の近くこそ民家が立ち並んでいますが、少し歩いただけで、それもすぐに途絶えて…。
02_9連の犬吠.jpg


 線路は畑の中を物井にむけてだらだら坂を下って行きます。
03C5759貨物.jpg


 物井方向から坂を登ってきたC58293(佐)牽引の上り貨物。曇り空に白煙が溶けこんで、迫力はいまいち。
04C58293貨物.jpg


 この辺は既にポールが建植されていました。D51508(岩)の牽く上り貨物ですが…、変なとこでシャッター切っているなぁ…。
05D51508貨物.jpg


 架線こそ張られていないものの、やっぱりポールは邪魔っけ。おとなりのモノサクは廃止になる旧線が、最後まで単線非電化のままで、そちらのほうが絵にはなるんですが…。C5777(佐)牽引の上り千葉行き客レ。
06C5777上りレ.jpg


 これまたキハ17+18+17、3連の下りDC(四街道駅で見た列車の折り返し?)。気動車だとポールがそんなに邪魔な感じがしないのはなぜなんだろう?
07キハ17_3連下りDC.jpg


 こちらはキハ35系で綺麗に揃った4連の銚子行き。

 …を見送り振り向くとと、はるか向こうで上りのDCと離合している。複線区間の醍醐味(!?)は、列車のすれ違いシーンなんじゃなかろうか? あぁ、望遠レンズが欲しい(これでも相当トリミングしてます)。
09上下DCの離合.jpg


 上ってきたのはキハ45,2連の千葉行きでした。(なんだかこの日は珍しく形式が揃った編成の列車が多かったなぁ)
10キハ45_2連千葉行.jpg


 台地にある四街道駅周辺は畑が多かったのですが、坂を下り谷地に入ると水田が目立ってきます。この後一年ちょっとで、この場所に電車…総武線緩行お下がりのモハ72系…が走り始めるのですが、通勤型電車には似合わない風景ですね。
11下りDC.jpg


 絶気で坂を下るC57牽引の旅客列車。機関車次位の客車の色が違って見えます。おそらくこの頃投入され始めた、ブルー塗りのスハ43(スハフ42)でしょう。千葉の客車といえば、木製の背ズリのオハ60/61系一色でしたが、急行型客車にも余剰が出始めていたのでしょう。
12C57下り旅客レ.jpg


 見渡す限りの水田、背後に広がる雑木林。その中をキハ28系堂々10連の「犬吠・水郷」が走り抜けていきます。
13上り犬吠.jpg


 天気のいい時、NEXでも撮ったら絵になりそうだなぁ…なんて思いながら、現在の地図を見てみますと、手前の水田の広がる一帯はオシャレな地名のついた新興住宅地に変貌しているようでした…そりゃぁ、45年も経てば、ね。
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Cedar

複線非電化区間って、学生時代に九州や関西に行ったときに見かけるたびに、不思議な違和感を感じたものでした。
今では北海道に行かないと見られないですね。九州の伊田線(→平成筑豊鉄道)はまだ複線なんですかね?
by Cedar (2012-01-22 20:51) 

maipenrai

Cedarさん
 3セク、特に新幹線開業関連の会社って、絶対に資産をオーバースペックで渡されてるよなぁ…と思うんです。「しなの」や銀河、青い森なぞ、貨物が走るってことはあるけど、昔の単線時代から較べても微々たるもので、単線にすれば固定資産税も半分(?)で済むのになぁ…なぁんて。
 本文で書き忘れましたが、東京に一番近い複線非電化といえば、関東鉄道常総線がありますね(実は後々の複線、いや伏線だったりしてw)。

プントさん
 はじめまして。niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-22 21:47) 

manamana

子供の頃、数少ない旧型客車列車に乗って
八王子とか、大宮とか、取出とか行ったに行って、
旅の気分を味わったものでした。
ひっきりなしに行き来する電車の脇で、
出発まで何十分も待つ車内は、別の時間が流れていました。
by manamana (2012-01-22 21:59) 

プント

初めまして。
ブログへのご訪問並びにniceを頂き、ありがとうございました。
maipenrai様のブログはCedar様のブログ同様、
以前から楽しく拝見させて頂いておりました。
鉄道に興味を持って数ヶ月、関東の電車に乗ったり見たり出来るようになって
まだ1ヶ月の若輩者ですが、色々とご教授頂ければ幸いです。
千葉モノレールは思った以上に楽しい路線でした。
でも都賀駅が昔は仮停車場だったなんて、今の風景を見ると
本当に想像がつかないですね~
これからも千葉の昔画像を楽しみにしております。
by プント (2012-01-22 23:31) 

nexus6

大スキだったキハたちがイッパイ (^^)
当時新鋭だったキハ45。  車種こそ違えど、今やこのリバイバル塗装車なんてのが現れてきてますね。  そして下から3画目のキハ4連、もしかして2両目は希少の中間車 キハ18でしょうか? イヤ~ たまりません。

by nexus6 (2012-01-23 08:23) 

maipenrai

おはようございます。
manamanaさん
 そうでした、上野でも新宿でも、昼行の客車列車があって、発車時刻のかなり前からホームに据え付けられていましたね。新宿だったかな、電車を数本見送って、客車のボックス席でボケッとしていた記憶があります。

プントさん
 千葉県へようこそ。3月までの土日、1800円で千葉県内のJRと小湊、いすみ、銚子電鉄が一日乗り放題の 「パワフル×スマイルちばフリーパス」第二弾が発売中です。乗り鉄にはうってつけですよ(笑)。

nexus6さん
 モノサク情報、ありがとうございました。
 バス窓、なんてコトバがまだなかった当時、キハ17系はけっして乗り心地はよくなかったけど味のある車両でした。キハ18ですが、千葉気動車区にはトップナンバーもおりましたね。

ほりけんさん
シュウチャンさん
さくさん
xml_xslさん
hanamuraさn
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-23 10:16) 

伊 謄

たしかに、千葉のDCというとキハ45+キハ17+キハ35+キハ26とか連なっていましたねぇ(笑)。
by 伊 謄 (2012-01-23 15:15) 

みやちゅう

こんばんは
今回は総武・成田シリーズですね。どのコーナーも貴重な記録
です。四街道からは急に里山の趣が これは今も変わりませんが
写真の中ではっきりわかるのはC57-77の上り客レの場所でしょうか
気動車は2連・3連と両数は以外と少ないようですね 自分も見てはいましたが記憶がありません。D51の貨物をこの区間のどこかで撮っています混合列車のように1両だけ貨物の中に繋がれていました。
佐倉まで自転車で道なき道を駆って行ったこともありました。
もう 昔のことですね
by みやちゅう (2012-01-23 19:28) 

Cedar

複線の伏線~楽しみですね~・・・
by Cedar (2012-01-23 22:19) 

京葉帝都

割と良く利用する区間の情景は、田園風景や四街道駅のホームの佇まいなど現在とあまり変わらないところもあります。元からの線路と複線化工事で新たに敷かれた線路とでは、レールの大きさが違うように見えます。「蠅たたき」は電化後に撤去されたのでしょう。
by 京葉帝都 (2012-01-23 23:53) 

gardenwalker

こんばんは
そういえば私がまだ幼稚園の頃でしょうか
我孫子に行くと成田線のジーゼルカー(と呼んでました)
がいたのを覚えています
by gardenwalker (2012-01-24 00:21) 

maipenrai

伊 謄さん
 子供の頃読んだピク誌…中川浩一さんの記事だったかな、房総のDCを評して「百鬼夜行」とおっしゃっておりました。私は意味がわからなくて辞書を引いて…子供の頃に覚えた「難しいコトバ」は忘れることがありません(笑)。

みやちゅうさん
 あのころ魅力的だったのは、やっぱりモノサクの旧線で、この区間で撮ったのはこのときだけです。いまの地図を見ても、物井のあたりで道が怪しくなってしまうので、自転車での遠征は大冒険だったことでしょうね。

Cedarさん
 自分で「伏線」などといってネタをバラしてしまうのだから、私も困ったものです。

京葉帝都さん
 四街道駅は昨夏、銚子の帰りにNEX退避で停車したときに観察しましたが、たたずまいは変わっていませんね。レールは当時の常磐線が37Kg/mでしたが、佐倉の旧線あたりをみると、それよりも一段細いレールが敷かれていたように思います。甲乙丙の線級でいうと丙線?
 もっとも当時は蘇我までしか入れなかったD51が館山まで走るのですから、全体の線級も上がっているのでしょう。

gardenwalkerさん
 面白いもので、家内の父母(徳島本線沿線在住)は断固として地元を走る車両を「電車」と言い張っています。ひょっとしたら「ジーゼルカー」は都会の人が田舎の鉄道の代名詞として使っていた…なんて思っているのですが…。

kakasisannpo さん
フジトモさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-24 00:49) 

あおたけ

昭和50年代、私が住んでいた柏から、
なぜか四街道へと転校してゆく同級生が多かったのですが、
きっとそのころに新興住宅街が形成されたのでしょうね。

この四街道周辺は撮影できなくなってしまったようですが、
物井のあたりは今でもこの当時のような雰囲気が残されていて、
有名撮影ポイントとなっているのはご存知だと思われます。
今度は今の物井で「NEX」などを狙ってみてはいかがでしょうか。

by あおたけ (2012-01-25 09:04) 

maipenrai

あおたけさん
 モノサク、ゼヒ訪問してみたいと思ってます。旧線跡を訪ねて、新線でNEX、211系、鹿島貨物(コラコラ欲張るな!)。ホントは113系のいる頃行きたかったのでありますが…。

gardenwalkerさん
くまくんさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-25 13:47) 

maipenrai

よしくんさん
FTドルフィンさん
 niceありがとうございます。
by maipenrai (2012-01-29 21:31) 

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